彼の人の悲しみは深く----------------。
自分に出来ることは、己の無力さを呪うことだけだった。





初めて彼を見たのは、激しい雨の降る日だった。
戦争の指揮をとる上層部から、一つの集落の壊滅の作戦を任せた錬金術師を回収してこいと命令されたのが始まり。

「・・・ったく。こっちは命がけで作戦を遂行してるってのに、「回収」だなんて、俺たちはモノじゃねぇってんだよ」
上層部に聞こえないのをいいことに、ブツブツと文句を言いながら、命令を受けたヒューズは指示された目的地へと車を走らせていた。
向かう先は東。

そこに居るのは、「焔」の二つ名をもつ国家錬金術師。
別名人間兵器と呼ばれる資格を持っているのだから、きっと手にかけた人間の数は自分の比ではない。
「え〜〜〜っと。名前は・・・ロイ・マスタング・・・・・・だっけ?」
つい先ほど聞かされたばかりの名を、ヒューズは復唱する。
「どうせ錬金術を扱う奴なんざ、筋肉ダルマのゴツイ奴か、手のつけられねぇ気性の荒い奴かどっちかなんだよなー・・・」
今まで自分が見てきた人間といえば、自分の力を誇示することに躍起になっているような奴らばかりだった。
迎えに行く人物が両方だったら手がつけられねぇな・・・と、ため息をつきながら、ヒューズはハンドルをきる。
早い話が上司の命令でもなければ、ヒューズだって錬金術師なんかに関わりたくないのだ。

人間兵器とまで言われる彼らの力は、底知れない。
今日の作戦だって、聞けば作戦に向かったのは彼だけだという。
集落と言えども普通に考えれば、一人で壊滅など出来るはずもないのに。
命令を下された人物は一人で遂行したのだというのならば、その力が以下に強大なのか察しはつく。

「たった一人で集落は壊滅・・・・・・か」
今日もいくつもの罪無き命が奪われたかと思うと、ヒューズの心に重いものがのしかかる。
命令とは言え、なぜ非戦闘員まで殺さねばならないのだ。
「本当に、戦争なんてなんも残らねぇよなぁ・・・・・・」
いたたまれなさにポツリと呟いたヒューズの目に、ガラスに当たる一粒の雫が飛び込んで来たのはその時だ。
「今日はとことんついてねぇなぁ・・・。やっぱり降ってきちまったか・・・・・・」

車内から見上げる空は、どんよりとした灰色の空。
光の欠片も見えない様は、まるで出口の無い迷路だ。
もうどれほど長い間、自分達はこの中でもがいている。
明日消えるかも知れない死の恐怖に怯えながら、後どれだけ人を殺せばこの戦いは終わる?

答え等見つからない問いを繰り返すうちにも、空から降る雨粒は見る間に数を増やしていく。
「こりゃ、早いとこ錬金術師様をお迎えに上がらないと、俺もケシズミにされちまうかな?」
どんどん強くなる雨脚に、ますます沈んで行きそうな気持ちを押し込めて。

冗談まじりに呟きながら、ヒューズはアクセルを更に強く踏み込んだ。



「さて・・・、錬金術師様は、どこにいらっしゃるのかなぁ〜っと。」
目的地にたどり着いたヒューズは、車内からきょろきょろと辺りを見回す。
このどしゃぶりと言っても過言ではない雨だし、当然その人物もどこかで雨宿りしているものとヒューズは思っていた。
しかし予想に反して、ヒューズの目に映ったのは、激しい雨の中佇む細い背中。
「え?」
まさかと目を擦るが、その人物は微動だにせず立ち尽くしている。
驚いたヒューズは自分が濡れるのも構わず、車から飛び出す。
パシャパシャと泥が跳ねるのを気にすることもなく、ヒューズは雨のなか佇む青年に向かって走っていく。
しかし、音を立てて走るヒューズには気が付いているだろうに、その細い背中は決して振り返ろうとしない。

「あんたがマスタングさん・・・だよなぁ・・・・・・?」
まるで自分を拒否するかのように、一向にこちらを向こうとしない背中にヒューズは恐る恐る声を掛ける。
ずぶ濡れのその姿に、国家資格を有する以上彼の方が地位が上だろということすら、考え付かなかった。

その声に、漸く反応を返した青年がゆるゆると顔をヒューズへと向けた。
「・・・ッ!」
その表情に、ヒューズは思わず息を呑む。

自分を見つめ返すのは・・・・昏い昏い瞳だった。

漆黒の瞳は何も映す事無く、静かにヒューズを見つめている。
滴る雨の雫が、まるで泣いているようだと。
何故か締め付けられる胸の痛みと共に、ヒューズはぼんやりと思う。

「おかしいと思わないか?」
青年を見つめたまま、言葉を失ったヒューズを見つめてクスリと彼が笑う。
口元とは逆に、全く笑っていない瞳。

青年の顔が端正なだけに、表情のない顔はまるで作り物のようだ。
ヒューズより若いであろう青年が浮かべるには、余りにも哀しく痛々しい笑みだった。

「『焔』を得意とする私は、雨が降ってしまえば、焔はおろか・・・火花さえ出すことが出来ない・・・」
じっと両手を見つめて、青年が呟く。
「今はこんなにも無力な私が、この町を壊滅させたんだぞ?信じられないだろう?でも全て現実だ・・・。大人も子供もすべて私が焼き払ったんだ」
「マスタ・・・・・・」
「今ならば、簡単に私を殺せるのにな・・・。だけどこの町には、もう私に復讐しようと思うものさえいない・・・」
ヒューズの言葉を遮って、淡々と青年は呟く。
「たった一人でも生きていてくれたなら、きっと私はもうこの世に存在しないのに」
その言葉は、まるで自ら死を望むような。

次の瞬間。
ヒューズは青年を抱きしめていた。
突然の自分の行動が、ヒューズ自身にさえ分からない。
けれど抱きしめていなければ、このまま目の前から青年が消えてしまいそうで。
それではいけないと思ったのだ。
これ程に傷ついた感情を抱えた彼の存在を、このまま消してしまうのはあまりにも哀しいと。
抱きしめた身体は細く頼りなげで、そして冷たい。

「? ・・・・・・いきなりなにをする?」
ヒューズに抱きとめられても、全く動じることなく青年が返す。

「泣きたいなら、泣いていいんだぞ?」
「なんのことだ?」
ヒューズの苦々しげな呟きにも、青年は首を傾げるばかりで。
少し身体を離してヒューズが見つめた顔には、純粋な疑問しか浮かんでいない。

ああ。とヒューズは心の中で絶望を呟く。
この若き錬金術師の心は、とっくに壊れてしまっているのだ。
命令とはいえ、繰り返される殺戮の日々は、軋んで悲鳴を上げる青年の心など、とっくに壊してしまっていたのだと気が付く。
彼の抱える暗闇は深すぎて、自分の差し伸べた手は届かない。

「もう、ここには何も残ってないな・・・・・・」
ヒューズに抱きしめられたまま、ぼんやりと泣くことを忘れた青年が呟く。
確かに、青年の目の前に広がるのは、あちらこちらが黒くなった大地ばかり。
つい先ほどまで、ここに町が存在していたなんて、いわれなければ分からないだろう。
青年の手によって、ここは多くの悲しみが眠る不毛の大地へと変わってしまった。

「帰ろう・・・・。いつまでも、ここに残っていても仕方が無い」
スルリとヒューズの腕を抜けて、背を向け青年は歩き出す。

その背は差し伸べられたヒューズの腕を、無言で拒否していた。
自分では、彼を暗闇の淵から救えないのだと、ヒューズは思い知らされる。
錬金術師ではない自分は、本当の意味で彼の苦しみは理解できないのだ。
彼の悲しみも、苦しみも癒すことは決して出来ないのだと。

ならばせめて。
自分にできないのなら、せめて彼の心を救ってくれる人物が現れるよう祈る事は赦されるのだろうか。
どうか傷つき凍える魂の彼に、いつか救いが訪れますよう・・・。
ヒューズは無意識に、今まで信じたことも無い神に祈りを捧げていた。

それまでは、自分がこの孤独な魂を守るから。
初めて出会った相手に、何故そこまで自分が固執するのかわからないけれど。
ただ、このまま彼を死なせては、余りにも哀し過ぎると思った。

ドウカ、ドウカ、イツカカレノココロガスクワレマスヨウ-----------。

ヒューズの祈りは誰にも聞こえることなく、振り続ける雨の中へと消えていった。









パラリと書類を繰る音だけが、静まり返った執務室に響く。

「・・・・・・ヒューズ」
ついに我慢の限界を超えたらしいロイが、応接セットの上で遠慮も無く寛ぐ男の名を静かにを呼ぶ。
「なんだ?・・・ああ、別に俺に構わず仕事は続けていいぞ」
紅茶をのん気に啜りながら、満面の笑みでヒューズが答えた。
「構わずじゃないッ!!暇なら、少しは手伝えッ!!」
言葉と共に手近にあった消しゴムを、ロイは力任せに投げつける。
しかし渾身の力をこめて投げつけたそれは、カップに口をつけたままのヒューズにあっさりとかわされて、壁へと激突しぽとりと床に落ちた。
「いやだね。何で俺が、お前さんが好きで溜め込んだ書類の決済を手伝わなきゃいけないんだよ」
「グッ!」
「ホントお前のそのサボリ癖はどうにかした方がいいぜ?」
しごく当然な事を返されて、ロイは思わず言葉に詰まる。
言葉につまったロイを見て、ヒューズは楽しそうに笑う。

あれから-----------。
あの雨の日から、随分時は流れた。

感情を失った青年は、漸く感情を取り戻してくれたようだ。
随分と柔らかい表情をするようになったと、しみじみヒューズは思う。
それも、すべては『彼』のおかげ・・・なのだろう。

「お前さんも、思っていたより表情豊かだったんだなぁ〜。初めて見たときは、まるで作り物みたいだったけどな・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
不意に過去のことを語りだしたヒューズに、ロイは返す言葉を失う。

「別に嫌味で言っているわけじゃないぞ?ただ、良かったと思ってな。お前も、漸く生きるつもりになってくれたみたいだからな」
過去に負ってしまった心の傷は、そう簡単に癒せるものではないと分かってはいるけれど。
傷を抱え生きていくことが決して楽ではないと分かってはいるけれども。
「・・・・・・・・・約束させられたから・・・な」
「ん?」
ポツリともれたロイの言葉を、ヒューズが聞き返す。

「共に生きる・・・・・・と。勝手に、一人で逝くのは許さないとな」
ポツポツと答えるロイの表情が、微かに赤く見えるのはヒューズの見間違いではないだろう。
ヒューズはロイの様子からして、その約束が誰と交わされたものなのか察する。

「ふむ。あのおチビも、中々気の利いた約束をさせるじゃないか」
にかっと、笑っていってやれば、ロイはますます顔の朱を濃くする。

「べっ・・・別に鋼のと、そんな約束をしたとは言ってないだろうッ!!」
むきになってなって否定すればするほど、それは肯定としてしかヒューズの目には映らない。
「まぁまぁ、照れるなって」
「て・・・ッ!照れてなどおらん!!」

「だから・・・その手は・・・・・・絶対離すなよ」
「ヒューズ・・・?」
不意に鋭くなった眼差しに、ロイは不思議そうに首を傾げる。

「やっと見つけたお前の片割れだろ?無くすんじゃねぇぞ?」
もう一度心を預けられる人を失ったら、きっとロイは二度と立ち直れない。
強くて脆い。厳しくて優しい。常に相反するものを抱えたまま生きている男だから。

「ああ・・・。分かっているさ」
その言葉を聴いて安心したように、ヒューズが頷いた時。
「大佐〜ッ!!ただいまッ!!」
突然声と共に勢いよく執務室の扉が開き、たった今噂をしていた少年が飛び込んでくる。

まだ幼さを残した、少年らしい生き生きとした顔を嬉しそうに綻ばせて。
少年は執務机に座ったままのロイへと、飛びついていく。

「こらッ!鋼の!!突然なんだ!?」
いきなり抱きついてきたエドワードに驚いて、ロイはその腕から逃れようともがく。

「なんだよ〜、久々に帰ってきたってのに、相変わらず冷たいな〜。まずは、『おかえり』だろ?」
「いきなり飛びついてきて、そういう問題ではないだろう!?まず手を離せ!!」
「いやだね。ったく、何ヶ月振りだと思ってんだよ。もう俺、完ッッッ璧に、大佐不足だせ」
ストレートな表現に、思わずロイの動きが止まる。

「あ、大佐もしかして照れてる?」
「そんなわけ無いだろうッ!!」
からかうような表情に、ロイは思いっきり否定する。
「ああ〜。素直じゃないな〜」

「プッ」
わざとらしく首を降るエドワードに、黙って二人のやり取りを見ていたヒューズがたまらず笑い声を上げる。

「アレ?中佐来てたんだ?」
まるで、今気が付いたようなエドワードの言葉に、ヒューズは顔をしかめる。
いや多分、本当に彼は今気が付いたのだろう。
「おいおい。久しぶりだってのに、随分なご挨拶だな」
「いや、悪いけど、俺には最優先事項があるからさ」

エドワードにとっての最優先事項が、間違いなくロイに触れることだと分かって、ヒューズはいよいよ腹を抱えて笑いだす。
同時に、本当にエドワードがロイを大切にしていると分かって、安堵もする。

エドワードだって、決して幸せな道を歩んできた訳ではないのに。
むしろ彼の道は普通の子供が経験するよりも、ずっとずっと過酷だったはずだ。
それでも何度打ちのめされても、彼は必ず立ち上がってくる。
いったいこの小さな体の、どこにそんな強さを秘めているのか。
呆れるほどに真っ直ぐに未来を見据える眼差しが、何よりもロイにとっての救いだとヒューズは信じている。

漸くロイが巡り合えた、孤独な魂の救われる場所。
それはエドワードの隣に他ならないと、ヒューズは思う。
自分には出来なかったことを、彼なら・・・エドワードならきっと。

おもむろに立ち上がったヒューズは、ロイにまとわり付くエドワードの頭へポンと手をのせる。
「それにしてもエド〜。ちょっと見ないうちに、大きくなったなぁ〜〜〜」
「どーゆう意味だよ!それって、余計にムカつくぞッ!!」
ヒューズの手を振り払って、エドワードがヒューズを下から睨みつける。

確固たる意思を秘めた、強い光を放つ黄金の瞳。
黄金の焔が宿るその目は、ロイが惹かれた瞳。

「どうも何も純粋に背が伸びたって、褒めてやってんだぞ俺は」
「そんな上から見下ろされて言われたって、実感わかねーよッ!!」

「いい加減にしろ二人とも!!仕事の邪魔だ!!」
いよいよエドワードがギャーギャー騒ぎ出せば、堪りかねたロイが怒鳴りだす。
「なんだよ、お前さん元々仕事なんてしてなかったろうが」
「む。そ、そんな事無いぞ。私はこうして書類をしっかりとだな・・・」
わざとらしく書類を持ち上げた手から、横から伸びてきた鋼の手が書類を奪い取る。

「大佐〜。俺が帰ってきたんだから、仕事なんて後々」
「・・・そ・・・そんなことできるわけが・・・」
「あ。ロイお前今エドの言葉にぐらついただろう?」
「・・・ッ!そ・・・そんな事!」
「あ、大佐顔が赤くなった」



数年前のあの雨の日には想像も出来なかった、光景。

------どうか、彼の人にもう冷たい雨は降りませんように----------。
そう、心の中でそっと祈りを捧げて。
ヒューズは、この穏やかな時間へ身を委ねるのだった。


                                                END(2004/02/22 up) (2010/01/28 再up)

この話には後書きをつけてなかったんですね。
うちのヒューズさんと大佐は友情以上の関係は無いらしいです(笑)
そして当時はヒューズさんの方がいくつか年上だと思っていたらしい・・・。
管理人のところのヒューズさんは、本当にエドと大佐の事を暖かく見守る人ですね。
何気にこの作品は自分なりに気に入っていたはずなのですが、やっぱり読み返してみると恥ずかしいです・・・。
今となっては、イシュヴァールの辺りも原作で触れましたが、この頃はまだ全然分かって無くて
好き勝手に妄想していたのが楽しかったなぁ・・・。