こんなに飲んじゃって・・・。
心の中で小さくため息をついて、ハボックは自分の肩を貸している人物をチラリと見つめた。
ほとんどハボックに引きずられるように歩く人物は、昼間は自分の上司だったはずで。
今日もホークアイに睨まれてという注釈は付くものの、小難しい書類を片っ端から片付けるという有能っぷりを見せ付けていたのに。
しかし自分の上司だったはずの人物は、昼間の姿など見る影も無くすっかり酔いつぶれていて、若くして高い地位につき将来有望と評判の高い人物にはとても見えない。
元々童顔な顔ではあるが、目を閉じていると余計に幼く見えて、ハボックの笑みを誘う。
「全く、飲みすぎっすよ、大佐・・・」
呆れたように呟いても、ハボックにもたれかかって感覚ない足取りで歩くロイは、ピクリととも反応を返さない。
どうやら意識は既に夢の中に近い状態のようだ。
元々珍しく自分の飲みの誘いに乗ってきた時から、様子が変だとは思っていたのだ。
最初からハイペースで飲み続けていたロイは、簡単に酔いつぶれて今はこの状態だ。
すべて自分の内にしまいこんでしまう人だから、ハボックがロイの身に何があったのかなんて、知る由も無いけれど。
地位の優先される軍部において、国家錬術師の資格を持ち、尚且つ若くして大佐の地位にまでついているロイ。
その存在を、疎ましく思っている輩は決して少なくない。
思ってるだけならまだしも、いろいろとちょっかいをかけてくる連中が多いであろうことは、ハボックとて想像に難くない。
「今日は何があったんすかねぇ〜・・・」
問いかけても、その問いに答えてくれるものはいない。
すべてを自分に話して欲しいとは言えないし、そんな資格も自分には無いことが辛い。
そもそもハボックが勝手にロイに片思いをしているだけで、二人の関係は上官と部下という域を出ていないのだし。
自分を頼って欲しいと、思うこと自体が間違っている。
それでも・・・辛いことがあるなら、一人で溜め込んでしまう前に少しぐらいこぼしてくれてもいいんじゃないかと、ハボックは思わずにいられない。
ロイよりも地位も年齢も下の自分に出来ることなんて、ほんの僅かだとしても。
溜め込むよりは吐き出したほうが、ましには違いないのだから。
こんな飲みに付き合うだけではなくて、心の内を晒してほしい。
「やっぱ、俺じゃ役不足っすか?」
聞き役にさえ自分にはなることは出来ないのかと、一度足を止めたハボックは夜空を見上げてため息をつく。
「でも・・・・・・、こうやって身を任せてくれてるんだから、ちょっとぐらい、期待してもいいですよね・・・」
夜空から視線を戻して、ハボックはロイをじっと見つめる。
やっぱり夢うつつらしいロイから、返事は無いけれど。
ロイがここまで酔いつぶれる姿を見せるのは、めったにないことだ。
あったにしても、ごく限られた人間に対してだけだと聞いている。
ならば、一応自分はよりロイに近しいものとして、認識してもらえているのだろう。
そんな些細な事にさえ、優越感を感じずにはいられない自分をなんて単純なと苦笑しつつ、ハボックはロイを自宅まで送り届けるという任務を遂行する為、再び歩き始めるのだった。
漸くロイの家へとたどり着いたハボックは、片手で器用にロイを支えたまま、家主の懐から自宅の鍵を取り出すと玄関のドアの鍵を開ける。
「大佐〜。自宅に着きましたけど、どうしますか?」
いまだ自分にもたれ掛かったままのロイに、余り返事は期待せずハボックは問いかける。
「う・・・ん・・・」
ついでにゆさゆさ揺すってみたので、微かな反応は返るが、やっぱりロイからは明確な指示は無い。
「では、反応がないので、勝手にベッドに運ばせてもらいますからね」
酔っ払い相手に埒の明かない会話をしていても仕方がないので、ハボックはさっさと会話を切り上げて、ロイの寝室へと足を向ける。
以前からロイが酔いつぶれたとき、何度かこうして自宅まで運ぶ羽目になった経験のあるハボックは、ロイの寝室の場所は知っているのでその足取りに迷いはない。
「とっ、とうちゃ〜く、と。」
ベッドまでたどり着いたハボックは、ロイを起こさないように細心の注意を払って、そっとベットにその身を横たえさせる。
それでもやはり目を開けない上司に、やれやれとハボックは肩を竦める。
普段は小さな物音にも反応するくせに、アルコールが入った途端のこの無防備さはいかがなものか。
困ったものだとロイを見つめていたハボックが、不意に気がついたように呟く。
「これじゃ窮屈ですよ・・・ね?」
きっちりと首元まで留められた軍服は、どう見ても安眠を妨げるものだろう。
ハボックはロイの上着のボタンをはずして、中のシャツのボタンもいくつかはずし、胸元をくつろげてやる。
それでもロイは目を覚ます気配はない。
無防備に横たわるロイの姿に、ハボックの劣情にチラリと灯がともる。
「大佐ーーーーー?そんなに信用しきっていて、いいんスか?」
呟いて、ゆっくりとハボックはロイの眠るベットに上がる。
サラリとした黒髪の下、今だアルコールによって赤く染まったままの頬が妙に艶かしい。
なのに、熟睡する姿はあどけない子供のようで。
「あんまり無防備にしていると、襲いますよ・・・・・・?」
半分以上本気で囁きながら、ハボックはロイの上に伸し掛かる。
頬に手を当て、ハボックはロイの整った顔を凝視する。
ずっとずっと、好きだった自分の上官。
初めてロイの姿を見たときから、ハボックはロイに惹かれ続けていた。
規則に縛られた軍での生活は、気ままがモットーの自分の体質には合わないと心底実感しているハボックが、それでもここに留まり続けるのはすべてはロイの為。
熟睡するロイは、ただ安らかな寝息を立てて眠っている。
ゆっくりとハボックの手が、くつろげられたロイの胸元へと伸びていく。
自分でも寝ている相手に手を出すのは、卑怯だと思う。
しかし、好きな相手が無防備な姿を晒しているのを見て、黙って見守っていられる程自分は枯れてはいないのだ。
ここでロイに不埒な真似を働けば、せっかく今まで築き上げてきた関係が崩れ去ってしまうのは、火を見るより明らかだとしても。
でも、一度走り出してしまった感情を押さえ込むには、ハボックはロイに惹かれすぎていた。
「大佐が悪いんスよ?俺はのことそんなに信用するから・・・」
勝手な事を言いながら、ハボックはロイの軍服を脱がせにかかる。
しかし、ゆっくりとロイのシャツの釦を外していたハボックの手は、途中でピタリと止まってしまう。
「・・・・・・え?」
口からこぼれるのは、無意識の驚きの声。
ハボックの目に映ったのは、ロイの白い肌に浮かぶ朱の刻印。
それはどこをどう見ても、キスマーク以外の何物でもない。
・・・認めたくないけれど。
「一体誰が・・・・・・?」
呆然とハボックは呟く。
ロイが女性とデートしているという話はよく聞くが、その相手の女性と夜を共にしたという話は、実際のところハボックは聞いた事が無い。
女性の誘いを断るのは失礼だからと、ロイが気を使って一緒に食事だけをしていることが、噂が一人歩きして「女性好き」という評判になってしまっているのは、
ロイを良く知るものなら誰もが知っている。
なまじロイのエスコートが完璧なだけに、一緒に食事をした女性が夢中になってしまい、結局本当に付き合っていた男性と別れることになるから、
彼女を横取りされた」と逆恨みをする男が後をたたないだけなのだ。
だから自分も、この人はまだ誰のものでもないのだと、安心していられたのに。
一体自分の知らない間に誰が。
ロイを組み敷いたまま呆然としているハボックの下で、漸く人の気配に気が付いたのかロイが小さく呻く。
「うう・・・ん」
さすがに起こしてしまったかと、ハボックが身を竦めて見つめる先でゆっくりとロイの瞳が開いていく。
言い訳の仕様もない状態で内心焦りまくりのハボックをよそに、いつもより多分に水分を含んだ眼差しが、じっとハボックを見つめた。
潤んだ眼差しに、ドキンとハボックの心臓が高鳴る。
しかし。
「あ・・・あの・・・大佐・・・・・・?」
じっとハボックを見つめたまま、ロイは何の反応も返さない。
さすがに不審に思って、ハボックはロイの顔をじっと覗き込む。
綺麗なガラス玉のようなロイの瞳に、今はハボックだけが映っている。
しかしその瞳は、いまいち焦点が合っていない様に見える。
「大佐〜〜〜?」
ヒラヒラとロイの目の前で手を振っても、ロイはボーっとハボックを見上げるだけだ。
どうやら寝ぼけているらしいと分かって、ハボックはため息をつく。
「大佐〜。紛らわしいことせんでください・・・」
寝ぼけていて良かったような、残念なような。
苦笑しながら告げるハボックに、何の前触れもなしにロイの手が伸びる。
「え?」
何を・・・と思う前に、ハボックの背に手を回したロイがぎゅっと抱きついてくる。
「うわっと、ちょ・・・大佐ッ!?」
バランスを崩したハボックは慌てて片手をベッドに突いて、ロイの上に倒れこまないように自分の身体を支える。
突然の予想もしなかった事態にパニックを起こすハボックをよそに、ロイはごろごろと猫ならば喉を鳴らしていそうな勢いで、ハボックに擦り寄ってくる。
トロンとした瞳で甘えたように抱きついてくるロイは、昼間のクールな姿はなりを潜めて、ハボックでなくともクラクラする可愛さで。
ましてや自分に抱きついているのは、ずっと自分が欲し続けていた人。
その人が自ら自分に抱きついてきている、まさに奇跡の状態。
「大佐ッ!!」
今にもふっ飛びそうな理性をどうにか保ちながら、ハボックはロイを抱き返すべく身体を支える腕とは反対の手をロイを抱きしめようとした。
しかし、ハボックの手がロイに触れる寸前。
続けてロイの口からこぼれた言葉に、ハボックの動きが止まる。
「・・・・・・はがねの・・・・・・もっと・・・・・・」
たどたどしく呼ばれた名に、ピシッ!!と音を立ててハボックの周りの空気が凍る。
鋼のって・・・鋼のって・・・もしかしてあの目つきが悪くて、口も悪い豆のことっすかッ!?
もしかしなくとも、『鋼の』とロイが呼ぶのは、エドワード・エルリックただ一人だけなのだが。
そんな当たり前のことが、混乱したハボックの頭の中を駆け抜けていく。
そしてハボックの頭の中に浮かんできたのは、フフンといわんばかりに舌をだしてブイサインを出すエドワードの姿。
ピキピキと、ハボックの額に青筋が浮かび、ひくひくと口元が引きつっていく。
「・・・・・・・・・あんのマメェ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
俯いたままハボックは、まるで呪詛のような低いうなり声を上げる。
状況から判断しても、ロイの身体にキスマークをつけたのはエドワードと見てまず間違いない。
とんでもない爆弾発言をしてハボックに衝撃を与えたロイは、今はまたぱったりとベットに倒れて、何事もなかった様に眠りについてしまった。
今のハボックには、その幸せそうな寝顔さえ恨めしい。
一体いつの間に!?
安らかな寝息を立てるロイの顔を凝視しながら、ハボックの頭の中でグルグルと疑問がまわる。
まさか自分より年下の、しかも何かにつけてロイといがみ合っている様に見えたエドワードに、先を越されているとは夢にも思わなかった。
エドワードは当たり前のように、こんな甘えた大佐の姿を見ているのだろうか・・・。
大佐は、どんな表情でエドワードに抱かれているのだろう・・・。
ふと浮かんだ疑問に、言いようのない黒い感情がわき上がる。
考えるまでもない。
これは「嫉妬」だ。
・・・こうなったら絶対に、襲ってやる!
暗い感情に支配されて、自暴自棄になったハボックは再びロイのシャツへと手を伸ばす。
子供に先を越された悔しさに頭に血が上って、今までの関係が壊れようがロイに軽蔑されようが、もう構わないとさえ思った。
この綺麗な人がただ欲しい。
恋人がピンチになっても、助けに来るどころか危険さえ察知できない豆なんかに、負けたく無かった。
しかし。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
長い沈黙のあと、ロイに伸ばされたハボックの手は、結局ロイに触れる事のないまま降ろされる。
「ずるいっすよ・・・大佐」
ポツリとハボックが、ため息と共に呟く。
自分はこんなにロイに対して、強い想いを抱いているのに。
ロイはハボックの感情には気がつきもしないで、信頼しきった顔で眠っている。
こんな安心しきった姿を見て、手なんて出せるはずが無い。
ハボックが見たいのは、ロイの悲しむ姿ではない。
険しい道を自ら選んで歩む人を、守りたいと思った気持ちに嘘は無い。
「・・・しょ〜がない。今回はこれで我慢しておきますよ」
ロイの前髪を掻き揚げて、ハボックはそっとロイの額に口づける。
「おやすみなさい。大佐。・・・・・・・・・俺、絶対大佐のことあきらめないっすからね」
そっと、囁いてハボックはロイのベットから降りた。
未練が無いと言えば、嘘になるけれど。
あんな無防備に寝ている人を襲うことだけは、絶対にしてはいけないと無理矢理言い聞かせながら、ハボックはロイの寝室を後にした。
「あ〜あ。俺っていい人だよなぁ〜」
ロイの自宅を後にして夜道を一人とぼとぼ歩きながら、ハボックは肩を落としながら呟いた。
どうせロイは酔いつぶれていたのだし、自分をエドワードと勘違いしているのだから、あのまま抱いてしまうことも可能だったはずなのに。
「でも、俺はやっぱり、誰かの代わりじゃ嫌なんだ・・・」
抱いてる間ずっと『鋼の』と呼ばれ続けたのでは切なすぎる。
自分がロイを好きなように、ロイにも自分を好きになってもらいたいのだ。
今はまだ、ロイが見つめているのは別の人だとしても。
自分の方がずっとロイの側にいる時間は長いのだし、まだまだ奪回のチャンスはあるはずだ。
「くそ〜〜〜ッ!!あいつが帰ってきたら、絶対宣戦布告してやる〜〜〜!!」
ハボックの叫びが、静まり返った夜道にむなしく響く。
果たして、ハボックに明るい未来は待っているのか。
それは、誰にも分からない。
前途多難な、ハボックの戦いはまだ始まったばかり・・・。
END(2004/01/31up)(2010/01/30再アップ)
この話にも後書きは無かったようです。
えーと、今の管理人からとしては、「ハボックさん諦めたほうがいいと思う」と言いたい。
多分宣戦布告した途端に、エドに八つ裂きにされると思われ・・・(笑)
そして、大佐からも「望みのない恋は諦めろ(キッパリ)」とか言われちゃうんだ。
(昔はほんの少しとは言え、ハボックさんの入る余地があったのに、今は無いんだ・・・)
今更ですけど、大佐は嫌な事があってもお酒に逃げたりしないと思います。
ましてや前後不覚になって部下に送られるなんてありえないと・・・。
過去の私は何を思って、そんな設定にしたのだろう・・・うーむ(謎)
それにしても、このお題の大佐はちょっとあほうの子になってますね。
多分はまって間もない頃だったので、性格がきちんと定まってなかったんでしょうね。
・・・って今だって、定まってるわけではありませんが。
過去の作品って、本当に色々出てくるなぁ・・・(笑)
