AM6:00
主人の眠るベットの上。
隣で一緒に丸くなって寝ていた黒猫が、パチリと目を開け身体を起す。
艶やかな毛並みに、小さな鈴のついた赤いリボンの首輪がとてもよく似合っている。
一目見て上品な雰囲気を漂わせる黒猫は、ハボックの飼い猫で名前をロイと言う。
時間通りに目が覚めたロイは、小さく伸びをした後、プルプルと身体を震わせる。
その振動で、首につけられた鈴がチリンチリンと可愛らしい音を立てる。
しかし、ロイの傍で眠るハボックは、その音を聞いても目を覚ます気配は無い。
(ふむ。相変わらず寝汚い男だな。)
美しい容姿とは裏腹に。
かなり上から見下ろした態度で思いつつ、ロイは既に日課になってしまった、主人を起す作業に取り掛かる。
「ニャー(おい。起きろ、ハボック!!)」
まずは前足でハボックの顔を突っついて見るが、ハボックはピクリとも反応を示さない。
(ふん。まぁ、こんなもので起きるとは初めから思っていないさ。)
昔はこれで起きてくれていたような気もするのだが、最近はすっかりなれてしまったらしい主人に、ロイは小さくため息を落とす。
(ならば、これでどうだ!)
ロイは続いてのしのしとハボックの上へと上がると、ハボックの顎に頭を摺り寄せてみる。
既に成猫であるロイが上を歩けばそれなりに重く、頭を摺り寄せることによってヒゲが顎にチクチク刺さると言う、ロイお得意の二段攻撃である。
「ぷ・・・ははッ!ロイ!!くすぐったいってぇ!!」
案の定ハボックはくすぐったそうに肩を震わせると、パチリと目を開く。
「ふぁ・・・はよー。ロイ。今日も早起きだなぁ・・・。」
大きなあくびをしながら、ハボックはベットの上へ身を起すと、自分を起してくれた猫の頭をぐりぐりと撫で回す。
「ニャー(むー。痛い!痛いぞ、ハボック!!)」
大きな手のひらで些か乱暴に撫でられて、ロイは小さく文句を言う。
それでも、ハボックから愛情は伝わってくるからロイは、大人しくハボックに頭を撫でられていた。
「それじゃ、気持ちよく目が覚めたところで、今日もお仕事頑張りますかぁー。」
気の済むまで、ロイの頭を撫でた後。
ベットの上で大きく伸びをして、ハボックはごそごそとベットから起きだす。
「さ。ロイお前も腹減っただろ?ご飯にしようぜ。」
ベットから降りたハボックは、自分のベットに乗ったままのロイに声をかける。
主人の声にロイはベットからスタッと飛び降りると、ハボックの足元へと擦り寄った。
「はは。お前本当に利口だよなぁ・・・。まるで俺の言ってることがわかるみたいだ。」
「ニャー(分かっているとも)」
当然と言う様にロイは鳴いて見せるが、人間であるハボックにロイの言葉は伝わらない。
「分かった分かった。朝ごはんにしような。」
見当違いなことをいいながら、ハボックはひょいとロイを抱き上げると、キッチンへと向かって歩き出した。
こうして、今日もロイの朝が始まっていく。
いつもと変わらない日々。
主人を見送った後は、自分の好きなことをして過ごしながら、主人の帰りを待つ。
今日もそんな、平凡だけれど幸せな日だと、ロイは思っていた。
そう。――――――――――彼に出会うまでは。
その日ロイはいつものように、ハボックが作ってくれたロイ専用の出入り口から外にでて、爽やかな風が吹く街の中の散歩を楽しんでいた。
心行くまで散歩を楽しんだロイが、家に戻ろうと自分の家を囲む塀から庭に降り立ったとき、『それ』は突然ロイの目の中に飛び込んできたのだ。
はじめ、そのしましまの物体が何だか、ロイにはよく分からなかった。
「な・・・なんだ?」
自分の縄張りの中に突然現れた、見覚えの無い物体に恐る恐るロイが近づいて見ると。
「・・・・・子猫?」
子猫というにはちょっと大きいが、成猫と言うには少々小さいトラ猫が、ぐったりとしているのだとロイは気がつく。
「ど・・・どうしたのだ!?大丈夫か?」
ピクリとも動かないその姿に、ロイは慌ててトラ猫の傍へと駆け寄ると、その小さな身体をゆすった。
しかし、心配そうなロイの声に対して、返ってきた声はなんとも気が抜けるものだった。
「は・・・ハラ減ったぁ〜〜〜〜〜〜。」
「・・・・・・・あのな・・・・・。空腹で倒れただけか・・・。」
本気で心配してしまっただけに、その回答にロイはあきれ返るが、心底悲しげなトラ猫の声に、そのまま見捨てることも出来なくなってしまう。
「全く人騒がせなヤツだな、君は。・・・仕方ない、私のご飯を分けてあげるから、ついてきたまえ。」
「え?マジ???良かった、俺もう一歩も動けないと思ってたんだ。」
ロイの言葉にぐったりと倒れていたトラ猫が、嬉しそうに起き上がる。
「・・・・・・・・現金なやつだな君は。」
突然元気になったトラ猫に、ロイは苦笑をもらす。
「やり〜。3日ぶりにまともなメシにありつける!」
ロイの呆れた声も耳に入らないで、トラ猫は嬉しそうに尻尾を振り回した。
「3日!?そんなに食べてないのか?」
トラ猫の言葉に、一日3回のご飯をきちんともらっているロイは、驚かずにいられない。
「おうよ。俺はあんたみたいな飼い猫と違うからな。あ、因みに俺エドワードって言うんだ。よろしくな。」
驚いたロイに、エドワードは得意げに胸を張ってみせる。
が、すぐにクタクタとその場に座り込んでしまう。
「・・・・・・・・悪いんだけど、詳しい事情は後で話すから、取り敢えず何か食べさせてくれない?」
ぐぅぅぅ〜と、空腹を訴えるように、エドワードの腹がなる。
「・・・・・・・・分かった。着いてきたまえ。」
ロイは本日何度目になるか分からないため息をついて、エドワードを誘導するのだった。
「はー。漸く生き返ったぜ〜。」
ロイの為に用意された昼食を一人でペロリと綺麗に平らげ、エドワードと名乗った猫は満足げに呟いた。
「全く・・・いくらお腹が減っていたとはいえ、君は遠慮と言う言葉を知らんのか。」
元々ロイは食が細いし、毎日きちんとご飯をもらっているから、一食ぐらい抜いてもなんら問題はないのだけれど。
取り敢えず一言ぐらい文句は言っても、罰は当たらないだろう。
「いやー。本気で助かった。ご馳走さまでした。」
「ちょっと待ちたまえよ。人のお昼ご飯を綺麗に平らげておいて、礼の一つも言わずに君は出て行くつもりかね。」
そのまま、じゃあと言わんばかりに出て行こうとするトラ猫を、ロイは慌てて引き止める。
別に本当にお礼の言葉が欲しかった訳ではないのだが。
なんとなく、このまま別れてしまうのが寂しい気がして、とっさにそう言ってしまったのだ。
「んー。お礼?お礼ねぇ〜?」
エドワードはそういいながら、足を止めて振り返ると、改めてロイを上から下まで眺めた。
「な・・・・なにかね。」
不躾なその視線に、僅かにロイは身を引きつつ問いかける。
「いや・・・・。あんた良く見れば、メチャメチャ美人だな。」
「は?」
ニカッと笑って言われた突拍子もない言葉に、ロイは純粋に驚いてしまう。
こんな美人な猫に初めて会ったとかなんとか。
エドワードは戸惑うロイを気にもとめず、しばし何事かを考え込む。
「・・・・・分かった。お礼をすればいいんだな。」
驚いたままのロイを置き去りに、一人納得したエドワードはスタスタとロイに近づく。
何をする気だとロイが訝しんでいるうちに、エドワードは前触れもなく突然ロイの口へと口付けた。
「ちょっ・・・何・・・!?ん・・・んんーーーッ!!!?」
突然のエドワードの行為に、ロイは驚きの声を上げる。
床についていた尻尾が、ピンとはって毛が逆立つ。
いきなり何をするんだと文句を言ってやりたくても、しっかりと塞がれた口からは何一つ言葉が出せない。
「ふ・・・あ・・・。」
息苦しさに口を開けば、エドワードのざらざらした舌が、するりとロイの口内へと忍び込んでくる。
「ん・・・んん・・・・。」
今まで他人とこんな接触をしたことが無いロイは、エドワードにされるがままだ。
長い長い口付けにくらくらとして、徐々に身体の力が抜けてくる。
胸がドキドキ言うのは酸欠だからなのか、それとも他の理由があるのか。
はっきり分かるのは、突然のこの行為が、ロイにとって嫌ではないということだけだ。
「ふぁ・・・・。」
漸く口付けから解放されると、ロイはへなへなとその場に座り込んでしまう。
「どう?気持ちよかった?」
エドワードは上機嫌に尻尾を振りながら、ロイを覗き込んでくる。
「き・・・・君の住んでいたところでは、これが礼の仕方なのか?」
呆然と問いかけるロイに、エドワードは微かに目を見張り、次の瞬間クスリと小さく笑った。
「そうだよ。誰かに凄く感謝をしたらキスで返す。これが俺の住んでいた町での常識。」
それは勿論エドワードの、口からのでまかせだったけれど。
しかし、飼い主であるハボックがいるこの町から出たことの無いロイには、それが嘘だと分かるはずもない。
「けどな。一度キスしてしまったら、その最初に口付けた人以外とは、もうしちゃいけないって決まりなんだ。」
だから、俺もあんた以外にキスできないけど、あんたも俺以外とキスをしちゃだめなんだと、エドワードはロイをじっと見つめそう告げた。
「 ? そういうものなのか・・・?」
そんな決まりは聞いたことが無いと、ロイは思うのだが。
「そう。そういうものなの。あんたはもう俺専用ってこと。」
キッパリと言い切るエドワードを見ていると、そういうものなのかと思ってしまう。
エドワードはクスクスと笑いをこぼしながら、ロイの頬に口付ける。
「うむ。分かった。それがしきたりならば仕方が無い。」
ロイはくすぐったそうに、エドワードの口付けを頬に受けながら、そう頷いた。
エドワードのでまかせを完全に信じてしまったらしいロイに満足して、エドワードは晴れやかに笑うとスクッと立ち上がった。
「分かってもらってうれしいよ。それじゃ・・・俺はもう行くけど・・・。俺・・・・・しばらくこの町にいるつもりだからさ・・・。またあんたに逢いに着てもいいかな?」
ロイを真っ直ぐに見つめて、エドワードは問いかける。
真っ直ぐ見つめられて、ロイはドキドキと胸が高鳴るのを止められない。
「あ・・・ああ、もちろんだとも。」
自分の感情に戸惑って、ロイはそれだけしか言えない。
本当は自分もまた彼と話がしたいと思っているのに、だけど口から出たのは聞きようによっては突き放したようにも聞こえる、つっけんどんな言葉。
どうしよう、彼が怒ってしまったら。
もう逢いたくないと言われてしまったら。
そんな不安がロイの胸を過るが、エドワードは嬉しそうに笑ってくれる。
「良かった。それじゃまた逢いにくるよ。・・・・・じゃあな・・・えっと・・・。」
「ロイだ。私の名はロイと言う。」
エドワードが言葉に詰まったのを察して、ロイは自ら名前を告げた。
「じゃあな・・・ロイ。」
少し照れたように自分の名を呼ぶエドワードに、何故かロイまで恥ずかしくなってくる。
お互いに赤くなったまま、黒猫とトラ猫はまた明日会う約束を交わした。
その晩。
晩ご飯をちっとも食べないロイの傍らには、わたわたと心配するハボックの姿があったという。
「ロイ〜お前ちっともご飯食べてないじゃないか〜〜〜。どうした?どこか具合でも悪いのか〜〜〜?」
途方に暮れるハボックの言葉も、ロイの耳には届かない。
ロイの胸を締めるのは、今日出会った小さなトラ猫のことばかり。
(なんだろう・・・。この気持ち・・・・。)
今まで誰にも感じたことのない感情に、ロイは戸惑うばかりだ。
彼のことを思うと、ドキドキと胸が高鳴り、かぁぁぁと身体が熱くなる。
(もう一度彼に・・・、エドワードにあったら解決するのだろうか?)
幸いにも、彼はまた逢いにきてくれると言っていたし。
「ロイ〜〜〜〜〜〜。」
ふう。と小さくため息をつくロイの傍では、事情の分からないハボックが泣きそうな声を上げている。
心ここにあらずな黒猫と、途方に暮れる飼い主の夜はこうして、静かに(?)更けていくのだった・・・。
誰かのことを思ってドキドキする。思うたびに苦しくなる。
人は、それを恋と呼ぶ。
終