カツンと硬質な音が東方司令部の廊下に響く。
真っ直ぐに前を見据えたまま、エドワードは目的の部屋を目指していた。
司令部に足を踏み入れる時はいつも緊張するが、今日に限ってはいつもの比ではなかった。
その表情にただならぬ決意を秘めたまま、エドワードは受付で案内された部屋の前へと立った。
この向こうに、自分の後見人を勤めた男が居る。
望まぬままに真理の扉を開かされ、視力を失った男が。
彼と会うのは、あの戦い以来だった。
アルフォンスの身体を取り戻し、喜びに浸っている間に彼の姿はいつの間にか消えていた。
視力を失ったまま姿を消してしまった彼の身を案じて居なかった訳ではない。
それでも彼に会いにくるまで、これほどの時間がかかってしまったのは予想以上に弟の身体が衰弱していてその看病に追われていたからだ。
あれから二週間。ようやく弟の身体が落ち着いたのを機に軍部に連絡を取ってみれば、彼は既に東に異動したあとだと聞かされた。
自分もついていくという弟に、もう少し容態が安定してからだと言い聞かせ、エドワードが一人汽車に飛び乗ったのは言うまでもない。
(あんたはいつだってそうだ。俺に何も言わず一人で行っちまう・・・)
曲がりなりにも自分たちは世間で言う恋人同士だというのに。
彼はいつも自分に肝心な事は何一つ話してくれない。
それほどに自分は頼りないのだろうかと、しくりと痛む胸を押さえながらエドワードは力強く扉をノックした。
(だけど、今度は逃がさない。今度こそ俺はあんたを手に入れるんだ)
自分のやるべき事を成し遂げ、誰にも遠慮する必要の無くなった今こそ。
「・・・入れ」
エドワードの来訪は既に伝えられていたのか、程なくして扉の向こうからロイの入室の許可が降りる。
ごくりと唾を飲み込みながら、エドワードはゆっくりと扉を開いた。
「・・・久しぶりだな、鋼の」
部屋の中央、立派な机に座った男はそういっていつもと変わらない笑みを浮かべた。
「大佐・・・」
「アルフォンス君の体調はどうだ?私が聞いた限りでは、かなり衰弱していたと聞いたが?」
「ああ・・・アルなら大丈夫だよ」
後ろ手にドアを閉めて、エドワードは一歩一歩ロイへと近づいていく。
「最初はあんなに細っこくなってるから、俺もどうなるかと思ったけど、今は順調に回復している。今日は置いてきちまったけど、今度ちゃんと二人で顔だすからさ・・・。あんたには本当に世話になったから、きちんと礼が言いたいってアルも言ってた」
少しずつロイとエドワードの距離が縮まっていく。
「ああ、是非そうしてくれたまえ。身体を取り戻したアルフォンス君と会えるのを楽しみにしているよ」
「それよりも、あんたは大丈夫なの?」
「大丈夫とは?」
「だって、あんた目・・・」
ロイの机の前で足を止めたエドワードは、言いにくそうに言い淀む。
目が見えなくなれば、強制的に退役させられると聞いた。
まだ目的を果たしていないロイにとって、それは死刑宣告にも等しいことだ。
その姿にクスリと笑ったロイは、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「ああ、鋼の。今日はトレードマークの三つ編みではないんだな」
「・・・え?」
「そうして髪をあげていると大人っぽく見えるな」
その見えてなければ分からない指摘に、エドワードは息を呑む。
どうして気がつかなかったのだろう、ロイの漆黒の瞳がかつての輝きを取り戻している事に。
「あんた・・・目・・・」
「ああ、おかげさまで再び見えるようになったよ」
あっさりと頷いたロイとは対照的に、青ざめたエドワードはロイの肩を掴んで揺さぶる。
「そんな・・・ッ!あんたは一体何を通行料に支払ったんだ!?」
自分とは違って彼には真理の扉と引き替えにという選択肢はなかったはずだ。
それならば、一体何を。
見たところ外見に欠けたところが見あたらないのならば、内蔵の何かを犠牲にしたというのか。
「・・・いや、心配には及ばないよ鋼の。運良く通行料を提供してくれた人がいてね」
「・・・そんな・・・バカな」
どこの誰が失われた視力を取り戻すという、莫大な通行料を肩代わりできるというのだ。
嘘をつくなと詰め寄るエドワードに、ロイはまた小さく笑う。
「本当だよ。だから、心配はいらない。私は何も失ってはいないよ」
もし、ロイの言うことが本当だとしても。
それでも、ロイは何がしかの犠牲を払っているはずなのは、疑いようもない。
「それで、あんたは何を差し出したんだ?その通行料を手に入れる為に何を・・・」
「・・・・・・・・・」
鋭い指摘にわずかに、ほんのわずかにロイの表情が強ばる。
それはエドワードでなければ気がつかないようなわずかな変化ではあったけれども、エドワードにはそれで十分だった。
「今更隠すなよ。賢者の石を持たないあんたに、それだけのものを提供してくれた奴は、あんたに何を要求したんだ?」
「・・・・・・」
見つめる瞳にゆらりと金色の焔が燃える。
逸らされる事のない強い眼差しに、ロイはもはや誤魔化す事は不可能と思ったのか、あきらめた様にため息を落とした。
「イシュヴァールの政策をしろと・・・ただそれだけだよ」
「それって・・・」
ロイの言葉にエドワーは言葉を失う。
イシュヴァール。それはかつてのロイが多くの罪を犯した地。
淡々とロイは語っているが、イシュヴァールで犯した罪にいまだ苦しむロイにとっては、再びイシュヴァールと向き合うことが、どれほどの痛みを与える事になるのか想像に難くない。
「なんで・・・なんでだよ!」
イシュヴァールでの事は、決してロイが望んだ事ではないし、視力を失った事だってロイの過失で起きた事ではない。
それでもその責任をロイに負えというのか。
戦いは終わったというのに、まだイシュヴァールの悪夢にロイは縛られねばならないというのか。
どうして彼ばかり。
彼ばかり苦しまなければならないのだ。
みんなの笑顔が見たいと願った自分が、誰よりも願ったのは彼の笑顔だったのに。
また自分では力が及ばないというのか。
悲痛な叫びをあげるエドワードに、ロイは小さく首を振った。
「いいんだ鋼の。私の事で、君が胸を痛める必要はない。どんな言い訳をしたところで、私がイシュヴァールで犯した罪は変わらない。条件など突きつけられずとも、自ら志願するつもりだったさ」
「でも・・・」
「イシュヴァールでの罪は一生私の背負うべきものだ。それが戦争に参加し生き残ったものの勤めなのだよ」
「大佐・・・」
「実はまた一つ昇格したのでね、今は準将だ。何度か放送でも流れたはずだが聞いていなかったのかな?」
暗くなってしまった空気を誤魔化すように、くすりと笑いながらロイはエドワードの拘束から逃れる。
「さぁ、鋼の。君にもやるべき事があるはずだ、いつまでもこんなところでぐすぐずしていないで、次の一歩を踏み出したまえ」
その為にここに来たのだろうと、ロイは微笑む。
それはどこか儚く見えて、ロイの考えている事が分かってしまったエドワードは内心で舌打ちする。
この大人は、間違いなくエドワードが軍をやめると信じて疑っていないのだ。
半ば予想していた事とはいえ、ここまで予想通りだとおもしろくないことこの上ない。
(誰があんたの思い通りにになんてなってやるものか)
心の内で呟きながら、エドワードは国家錬金術師の証である銀時計を取り出す。
「ああ。今日はこれを返しにきたんだ」
「そうだな。錬金術を使えなくなった君に、いつまでもそれを預けておく訳にはいかんな」
受け取ろうと手を伸ばすロイの腕を掴んだエドワードは、その腕を強く引っ張った。
「鋼のっ!?」
突然の出来事に対応仕切れず机に乗り上げた身体を、エドワードはしっかりと抱きしめる。
「この銀時計は返上するさ、だけど・・・」
一呼吸置いてエドワードはロイの耳元へと、はっきりと自分の決意を吹き込む。
「俺は軍をやめるつもりなんてない。正式に軍人になってやる」
「・・・ッ!?何を馬鹿なことを・・・。弟や君の帰りをずっと待っている幼なじみが故郷にいるのに・・・」
「馬鹿じゃない。ずっと考えていたんだ。アルの身体を取り戻して、そして縛られるものが無くなったのなら、ずっとあんたの側にいたいって。もちろんアルにも俺の気持ちは伝えてきたし、ウィンリィにも言ってきたよ。あいつには、止めたって無駄なのは分かってるから、好きすればって笑われたよ」
もう近しい者達の許可はとっくにもらっているのだと、エドワードはあっさりと言い放つ。
「あんたがイシュヴァールの復興に尽力をつくすっていうのなら、俺も手伝うよ。もう一人でなんていかせないから」
ぎゅうと抱きしめる腕に力を込めながら、エドワードはずっと考えてた想いをロイへと告げた。
月のない夜に悪夢に魘されるロイを知っている。
雨の降る日にかつての戦場を思い出しては苦しむロイを知っている。
それでも、弟の身体を取り戻すという目的があった自分には、何もする事ができなかった。
だから今度こそ、自分はロイの側を離れたりはしない。
「俺の存在でロイの傷が癒せるなんて、自惚れるつもりはない。だけど、痛みを和らげる事ぐらいは俺にだってできるだろう?だって、俺はあんたが愛している人間だから」
確信に満ちたエドワードの声にロイは息を呑む。
それは絶対に子供に知られてはいなかったはずの想い。
そして、決して知られてはいけない想いだったはずだ。
時がくれば自然に彼が自分から離れるように、そう自分はし向けてきたはずなのに。
「・・・自惚れるな鋼の!誰が君のような子供に・・・」
彼を愛しく思うのならば、この感情は認める訳には行かない。
拘束する腕から逃れようともがくロイを、エドワードはさらに強く抱きしめる。
「だって、じゃなければプライドの高いあんたが、俺なんかにその身体を預けてくれるわけないじゃん」
逃れようと思えば口の達者な大人はいくらでも逃げられはずだ。
嫌ならば、力に訴えてエドワードを突き放す事もいくらだってできたはずだ。
それでも、ロイがそれをしなかったというのなら、そこには確かに想いが存在していたはずだ。
「離せ!離さないか鋼のッ!!」
往生際悪くもがいても、エドワードの拘束はゆるまない。
かつてはこんな拘束など、簡単に逃れられたはずなのに。
「イヤだ。あんたの本音を聞くまで絶対に離さない」
「・・・・・・・・・」
「ねぇ、本当の事を言ってよ。俺たちの今までは決して『ごっこ』なんかじゃ無かっただろう・・・?」
切ないエドワードの声に、ロイの胸が締め付けられる。
「好きだよ、あんたの事が誰よりも・・・」
「鋼の・・・」
切々と自分を愛しているのだとささやく声に、歓喜するこの胸の内はもはや誤魔化しようがない。
分かっている、この腕が振りほどけないのは、自分もまた彼を望んでいるからだと。
もうこれ以上気持ちを誤魔化す事なんてできそうない。
「・・・ああ、そうだな、鋼の」
「大佐?」
抱きしめた身体から力が抜けた事を感じて、エドワードは腕の力を緩める。
「・・・君の言う通りだ。私は君の事が好きだよ」
はっとエドワードが息を呑むのを聞きながら、ロイは静かに目を閉じエドワードに身を預ける。
「だから察してくれないか。好きだからこそ、君を軍属にしたくないのだという私の気持ちを」
ブラッドレイの政策が崩れた今、今後大きく軍が変わって行くことは疑いようもない。
しかし、戦争が始まれば人を傷つける事も厭わないという、軍人としての本質に代わりはないのだ。
その人を傷つける事の痛みをエドワードに知って欲しくないのだ。
それは、ただの大人のエゴなのかもしれないけれど。
黙ってロイの訴えを聞いていたエドワードが、ふと笑いを漏らす。
「大佐ってさ。頭いいくせに、たまに馬鹿だよな」
「なっ!誰が馬鹿だ!」
まじめな話をしているのに茶化すなとロイが怒りだしても、エドワードは一向に気にする様子は見えない。
「だってそうだろう。あんたがそうやって俺の事を思ってくれているように、俺だってあんたの事守りたいって思ってるんだよ。それがどうして分からないのかなーって思ってさ」
ロイが譲れない願いがあるように、エドワードにだって譲れない願いがある。
自分の想いがどれだけ強いか自覚しているのならば、相手もそれだけ強い願いをもっているのだと分かってもいいはずなのに。
「だから、あんたがいくら言い聞かせようと思っても無駄ってこと」
「あのな・・・」
エドワードの無茶苦茶な理論に、ロイはがっくりと肩を落とす。
本当にこの子供は、昔っから自分の言うことなど何一つ大人しくきいてくれない。
「本当に、どうしてこう屁理屈ばかり言うんだ、このお子さまは」
真面目に諭そうとおもっていた自分が、馬鹿みたいじゃないか。
「いた・・・っ!ちょ・・・本気で痛いって!」
ぎゅうと鼻をつまむロイに、エドワードが悲鳴をあげる。
「軍人は君が思っている以上に厳しい職業だぞ、覚悟はできているんだろうな!」
その言葉に、ロイの攻撃から逃れたエドワードがパッと顔を輝かせる。
「ああ、もちろん!すぐにあんたの側に行ってやるから、待ってろよ!」
国家錬金術師の資格を返してしまった今となっては、エドワードは一からやり直さなければならないけれど。
彼の実力をもってすれば、あっと言う間にロイの傍までやってくることだろう。
「ああ、楽しみに待っているよ」
そう言って笑ったロイは、エドワードが今まで見た事もない程の綺麗な笑みを浮かべる。
それはロイが初めてエドワードに見せた、嘘偽りのない心からの笑みだった。



END



こちらは原作のアレが無かった事にされてるバージョンです。
それ以外の事は、そのままだと思うのですが・・・どうかな、結局最終回もそれほど読み返したわけではないので
(というより、一回しか読んでない)管理人の頭の中で都合よく捻じ曲げられていたらごめんなさい。
エドはやっぱり大佐の傍にいてほしいなーというのが、管理人の昔からの願いなので
大佐がどんなに反対しても、エドは軍人になるんじゃないかなと思いながら書いたのかこの話です。
なんかアニメ(一期)でも、原作でも大佐が素直に笑ってるシーンて無かったような気がするので、
せめてエドの前でだけは、素直に笑えるようになってくれたらいいな・・・と。
いやエドならそれもできると、管理人は信じてますから!
エドロイは永遠です!!(あ・・・あれ、なんか妙な後書になった?)