「大佐は執務室にはいらっしゃらないわよ」
そう不意に声をかけられ、ロイのいるはずの執務室へ一直線に向かっていたエドワードは思わず足を止めた。
「え?」
背後から聞こえた声につられるように振り返れば、エドワードの瞳に映るのは、いつもであればロイの傍らについているはずの、美貌の副官の少し困ったように笑う顔だった。
「いない?えっ!?だって俺ちゃんと確認とったよ?」
ほんの数日前。
定期報告も兼ねてそちらに顔を出すと連絡を入れたときには、 間違いなくこの時間は執務室にいると、ロイは言っていたはずなのだが。
何か急の予定でも入ったのかと、顔を曇らせるエドワードに、ホークアイは頬に手をあて、更に困ったようにため息を落とした。
いつも感情をあまり表情に出すほうではない、ホークアイのその仕草は、それは現在の事態が予想外のものだと物語っている。
「正確には、もういらっしゃらない・・・と言った方がいいのかしら?」
いつになく要領を得ないホークアイの言葉に、話が見えなくて、エドワードの顔には疑問符が浮かぶばかりだ。
それが伝わったのだろうか、ホークアイは今度こそ単刀直入に事実を述べた。
「先ほどまでは間違いなく執務室にいらっしゃったのだけど、体調不良で今日はお帰りいただいたの」
「体調不良ぉ〜?」
本来であれば、身体が資本であるはずの軍人としてあるまじき早退理由に、思わずエドワードの声が裏返る。
しかし、ホークアイは申し訳なさそうな表情を浮かべるばかりだ。
「大佐を責めないであげてね。今回ばかりは、大佐が悪いわけじゃないのよ」
「・・・って、どういうこと?」
どうやら今回の体調不良の件に関しては、ホークアイも一枚からんでいるらしい。
そうでもなければ、仕事に厳しいホークアイが、いくら体調不良とはいえ仕事半ばで帰ってしまったロイを庇うわけがない。
「実は・・・ね。大佐はここのところ執務が忙しくて、ずっと不規則な生活をしていらっしゃったから・・・。多分ご自分で思っている以上に、身体に負担が掛かっていたと思うの」
ホークアイの言葉を聞きながら、顔には出さずエドワードはまたかと、心の中でため息を落とす。
ロイが仕事をこなしていく上で、自分の身体のことも顧みず無茶をすることは、実は珍しいことではないのだ。
あの一見執務をさぼっては中尉に怒られてばかりいるように見える男は、まったくいつ仕上げてんだと思わずにはいられないが、、実際は完璧に仕事を仕上げていた。
・・・・・・例えそれが、一人で処理できるような量でなかったとしても・・・だ。
ロイがその件に関して、エドワードに語るようなことはなかったけれど。
エドワードは、あの男に与えられている仕事の量は、本来一人でこなすべき量ではないと踏んでいる。
だってそうだろう。
いくら大佐の地位にあるとはいえ、いつ訪れても執務机に山と詰まれた書類は、一般常識に照らし合わせても尋常な量ではない。
これはあくまで推測だが、あれはロイの異例の出世を妬む上官達からの嫌がらせだろう。
人一倍の量を押し付けておいて、こなせなければそれをせせら笑おうというのだから、本来人の上に立つものたちのすることにしては、随分と狭量なことではあるのだが。
だが例えそんな底の浅い魂胆が見え見えの命令でも、屈する訳にはいかないのは、本人が一番分かっているから。
何が何でもロイは、文句をつける隙がないほど、完璧にこなして見せなければならないのだ。
それが、時に自分の身体に負担を強いることになったとしても。
ロイはいつも涼しい顔で、その無茶をやってのける。
しかし、本人がおくびにも出さなかったとしても、身体にかなりの負担をかけていることは、紛れもない事実なのだ。
そこまで自分を追い詰める前に、少しは周りを頼れと口をすっぱくして言い続けても、あの男は全く聞き入れてくれない。

『これは私の問題だよ、鋼の』

そう言って、笑うばかりなのだ。
その強さが、エドワードには羨ましくもあり、悲しくもある。
彼が腹心の部下と呼ぶものたちは皆、ロイの助けになりたいと誰もが思っているにもかかわらず、いつも最後の最後で、彼は自分を犠牲にしてしまうことを厭わない。
冷淡とも取れる態度は彼の大切な者たちを護るための演技で、心の奥底に彼は驚くほどの優しさをかくしているから。
その心を護りたいと、強く強く願ったのはいつの日のことだったか。
もどかしいと思うのは、こんな時だ。
彼の助けになりたい、そう願う自分は確かに存在しているのに。
自分にはどうしても、成し遂げなければならない目的があるから、彼の傍にいることさえできなくて。
それどころか実際は助けるどころか、与えられるばかりなのが現実で。
ロイと同じ国家錬金術師とは言っても、経験も知識も圧倒的に少ない自分では、所詮過ぎた資格を与えられた子供でしかないのだと、エドワードは己の力不足を痛感させられるばかりなのだ。
「それで?ただ忙しかっただけじゃ無いんだろう?」
ともすれば落ち込みそうになる思考を、無理矢理打ち切ってエドワードは、ホークアイにその先を促す。
「それで、ただでさえ体調がよろしくないときに、昨日街で、小規模とはいえテロ事件が起きてしまって。本当は私たちだけで憲兵を指示して、事件を解決するよう命令が出ていたのだけど、何しろこの時期でしょ?新人の憲兵が多くて、私たちの指示だけじゃ統率が取れなくって・・・」  
「で、大佐自ら指揮にでることになったんだ?」
確かにロイなら、どんな新人の集まりだろうと完璧に指揮をとって見せるだろう。
ホークアイたちに、指導力が無いと言っているわけではない。
ホークアイとて、人並み以上に、冷静な判断力と統率力は備わっている。
唯一ホークアイ達に欠けているものがあるとすれば、それはロイだけが持つ圧倒的カリスマだろう。
どんな危機的状況においても、決して怯むことの無い強靭な精神力。
一瞬で判断を下し、的確な指示を与える冷静な判断力。
どれほど騒々しい場所でも通る、凛とした声。
彼の存在は、まるで導きの光。
ロイには、自然と人を従わせる能力が備わっているのだ。
エドワードの指摘に、ホークアイは小さく頷く。
「ええ。それにタイミングの悪いことに、今日こちらに着いたばかりのエドワード君は知らないかもしれないけど、昨日は酷い雨で、雨のせいで気温も低くて・・・」
「ちょうど体力の落ちてた大佐には、覿面だったってわけだ・・・」
やれやれと、エドワードは小さく肩をすくめる。
「それでも、大佐は今日はエドワード君が来るからって、それまでは帰らないっておっしゃっていたのよ?それを無理矢理自宅に帰してしまったのは私なの」
だからごめんなさいと、ホークアイはすまなそうに頭をさげた。
「いや、別にそれは中尉が謝ることじゃないよ」
「でも・・・、私がもうちょっと早く大佐が無理をしてらっしゃるのに気がついていれば、書類の調節だって出来たかもしれないのに・・・」
副官として失格ねと呟くホークアイに、エドワードは何でも無いことのようにパタパタと手のひらを振った。
「そんなに中尉が気にすることじゃないって。大体意地っ張りなアイツが、そう簡単に無理してる姿なんて見せるとも思えないしさ」
気がつかなくて当たり前だよと、慰めるエドワードに、ホークアイは少しだけ驚いたように目を見張った。
「どうかした?」
「いいえ・・・。エドワード君は大佐のことを、とてもよく分かっているみたいだから・・・」
まるで我が事のようにロイの性格を語るエドワードは、確かに日頃ケンカばかりしている二人とは到底思えない。。
「そ・・・そうかな?き・・・きっと、俺と大佐って似たようなところあるからさ、それでじゃないかな?」
ホークアイの指摘に、エドワードは焦ったように首を振った。
「そう?それだけかしら?」
まるで何かを知っているかのようにクスリと笑いを漏らすホークアイに、エドワードの背を冷たいものが流れ落ちていく。
自分とロイが、実は恋人という関係にあることは、誰にも知られていない秘密。
ここでうっかりばらしてしまえば、ロイを怒らせてしまうことは、火を見るより明らかだ。
「そうそう。だ・・・大体、俺と大佐ってそんなに仲がいいわけじゃないの、中尉もよく知ってるだろう?」
「・・・ええ、そうね」  
柔らかい微笑を浮かべたまま、ホークアイは相槌を打つが、それは全くエドワードの言葉に同意しているようには見えない。
もしかして・・・中尉にはバレちゃってる? 女性の勘は鋭いっていうからなぁ・・・。
どこぞの本で読んだ知識を思い出しつつ、だからといってそんなこと、実体験で知りたくないと思うエドワードである。
複雑なエドワードの内心に気づいているのか、いないのか。
鋭い指摘に、冷や汗をかきまくっているエドワードを見つめていたホークアイは、いい事を思いついたというように、そうだわと呟きにっこりと微笑んだ。
「ねぇ、エドワード君。一つお願いしていいかしら」
「えっ?な・・・何を?」
ホークアイが自分に頼みごととは、一体何を頼まれるやらと内心どきどきしながら聞き返す。
「大佐に用事があるなら、お見舞いも兼ねて自宅に行ってもらえないかしら?」
「自宅に?」
それぐらいのことであれば、元々ホークアイの話を聞いた時点で、ロイの自宅に行くつもりであったエドワードにはなんら問題はない。
「別に・・・それぐらいだったら構わないけど・・・」
「助かるわ。大佐はかなり具合が悪そうだったから、誰かに様子を見に行ってもらうつもりだったけど、あいにく手の空いているものがいなくて・・・」
「・・・そんなに悪そうだったの?」
様子を見に行かなきゃいけないなんて、よっぽどじゃないかと、エドワードは表情を曇らせる。
「大丈夫よ。きっとエドワード君が顔を見せれば、元気になるから」
「え?」
なんだか、今もの凄い台詞を聞いたような気がするのだが。
思わず聞き返すエドワードに、ホークアイは更に爆弾発言を落とす。
「大佐の自宅までの地図は・・・・必要ないわよね?」
にっこりと微笑まれて、エドワードは完全に沈黙するしかなかった。 




エドロイアンソロ「LOVE RAG TAG」掲載
「浸透する体温」本編続く



・・・・・・・・・って、いつの間にアレが本編に(笑)
というわけで、以上がアンソロに投稿させていただいた小説の、削除された前半部分でした。
これだけで、既に4P分ぐらいになってるんですよね〜(;^_^A アセアセ・・・
そりゃ、どう考えても、あと6Pで肝心のエドロイの部分が収まるはずもない|||orz
因みにアンソロのでは、上記内容は半ページに無理矢理収めました〜(笑)

アンソロだけ読むと、まるで大佐は自らの不摂生で体調不良のようですが、決してそうではないのよ〜
と、いう事を言いたくて、こちらをアップいたしました。
・・・・・・・決して『せっかく書いたのに、勿体無い』というセコイ観点からではなく・・・・・もごもご・・・・・・。

アンソロをみていらっしゃらない方には、消化不良の話でゴメンナサイ。
この後アンソロに続いているので、まだ見てらっしゃらない方は見て下さると嬉しいな・・・・というか、
本当に管理人以外の方のエドロイは必見だと思います。
どれもこれも、素敵な話ばっかりですよ〜(と、さり気(?)にCM)