カツカツと音を立てながら、静まり返った夜道を一人の人物が歩いている。
皓皓と白銀の光を放つ月光が、夜道を行く彼を映す。
その顔は、冴えた光とあいまって、まるで作り物のようにも見えた。
左目を覆う無粋な布さえも、彼の整った顔立ちにはなんら影響を及ぼしてはいなかった。

怜悧な美貌を持つ彼の名は、ロイ・マスタング。
若くして将軍の名声を得た彼の名は、いまや大陸中に広まっていることだろう。
中央でも、その名を知らぬものがいないという彼が、一人で夜道を歩くことは珍しい。
重役につくロイは、いつでも護衛をつけての送迎が常だった。
今日とて、勿論車で自宅に戻るつもりではいたのだ。

ただ。
なんとなく、今日は一人で家に戻りたいと思ったのだ。
その予感がどこから来るものかなんて、分かりはしないのだけれど。
だから、一人で帰ることに難色を示す部下達を、漸く説得してロイは一人家路についたのだ。
まぁ、こんなに夜遅くになってしまうのは計算外ではあったが。
たまにはこんな日があってもいいだろうと、ロイはのんびりと月夜の散歩を楽しむことにしていた。

夜更けのせいもあり、ロイの歩く道には、街の人々の姿は無い。
静寂は、自分だけが時の流れから切り取られてしまったような、奇妙な感覚をロイにもたらす。
「いや、私はもうとっくに、時間に取り残されているのかも知れないな・・・。」
『彼』に置いていかれた日から          
かろうじてロイは、最後の言葉を飲み込む。
普段は時間に追われ、彼のことを考えることはないけれど。

こうして、不意に静けさを取り戻し自分の時間が訪れたとき、胸を過るのは彼のことばかり。
あの日以来プッツリと姿を消してしまった、自分の年下の恋人。
彼が姿を消してから、どれぐらいの月日が流れただろう。
お互いに進むべき道が違っていたことは分かっていたから、いつかは決別の時が来る覚悟はしていた。
だけど、その別れはあまりにも唐突過ぎて。
彼が居なくなったという実感が伴わない。

日の光を弾く、眩い黄金。
決して真実から目を逸らすことはない、意思の強さを表す黄金の瞳。
存在そのものが、太陽のようだった彼。
惹かれることを止められず、手を伸ばしてしまった存在。

『愛している。愛しているよ・・・・ロイ。』
目を閉じれば、蘇る彼の声。
まだ少年の幼さを残す声で、精一杯の気持ちを込めて、自分と共にありたいと切々と告げてくれた。
幾度と無く彼に抱かれた身体は、これほどの月日がたっても彼の施した愛撫一つ一つを覚えている。

「女々しいことだ・・・・。」
月を見上げて、ロイは自嘲の笑みを浮かべる。
いつまでたっても、彼を思い出に変えられず、捕らわれたままの自分。
そろそろ、区切りをつけねばならないのは分かっている。

しかし、忘れるには余りにも彼は、ロイの心を侵食していて。
彼が居なくなって、ロイは痛いほど気がつかされたのだ。
何よりも別れの時を恐れていたのは、自分の方だったのだと。
失って気がつくなんて、なんて滑稽なのだろう。
結局自分は、彼に何一つ大切な言葉を告げられなかった。

それでも、恋多き男と噂される自分が、未だに決まった相手がいないのは、結局は心のどこかで彼の帰りを待っているからだ。
例え彼と再び出会えたとしても、彼の気持ちが変わっていない保障などどこにもありはしないのに。
「私は、待つのは苦手なのだがね・・・・・。」
何も縋るものが無いまま、待ち続けるのは辛い。
せめて、彼の弟アルフォンスのように、自分で彼を探しにいけたのなら、また気分も違ってくるであろうに。

軍の中枢をなす自分が、今、軍を辞める事などできるはずも無い。
漸く立て直したとはいえ、軍はまだまだロイの力を必要としているだ。
「本当に、しがらみばかり多くなって・・・・・。私の自由はなくなるばかりだ・・・・・。ところで・・・・・・・。」
儘ならない現状にため息を落としたロイが、不意にピタリと歩みを止めた。
「いつまで隠れているつもりかね?」
前を見つめたまま、振り返りもせずロイは言った。

まるで独り言のような言葉に、ピクリと反応する影がある。
「さすが、中央にこの人ありと言われたロイ・マスタングだな。気がついていたのか・・・。」
「独り言を聞くとは趣味が悪いな・・・・。やれやれ。中央も平和になったと思っていたのに、今だこんな連中が残っていたとはね。」
やれやれと肩を竦めるロイの周りに、わらわらと黒い影が集まる。
覆面に顔を隠した姿は、どう贔屓目に見ても善良な市民には見えない。

「あんたが無防備すぎるんじゃねぇの?護衛もつけねぇで、こんな夜道を一人でフラフラと。」
グループのリーダーらしき、体格のいい男がロイを上から覗き込んで、馬鹿にしたように笑う。
「あいにく、今日は私の勘が一人で帰れと告げたんでね。勘に従ったまでだよ。」
「へぇ。そりゃすげえ!それは俺達に掻っ攫われる為に、神の思し召しってやつですか?」
リーダー格の男の言葉につられて、下品な笑い声を上げる男達を、ロイは一瞥する。

「さぁ?私の勘が鈍っているとは思いたくないのだがね。」
「まぁ、なんにしろ好都合だ。俺達はあんたに用事がある。大人しくついてきてくれれば、乱暴にはしないぜ?」
リーダー格の男隣にいる男の言葉に、ロイを取り囲む男達がそれぞれに、己の武器を誇示してみせる。
銃あり、サバイバルナイフあり、さまざまな武器が、一斉にロイに向けられる。

「私を誘っていいのは、美しい女性のみと決まっている。悪いが他をあたってくれ。」
武器をちらつかされて無言の脅しをかけられても、ロイは怯むことなく冷たく言い放った。
「ま、確かにいい女はいねぇけどよ。さすがに焔の大佐と恐れられたあんたでも、これだけの人数相手にはできねぇだろう?」
勝ち誇ったリーダー格の男の言葉に、ロイはチラリと視線をめぐらす。

(10・・・11・・・・・。いや、12人・・・・か?)
気配を感じるだけでも、ざっと相手は12人。
確かに一人で相手にするには、分が悪い。

「民家に被害が出ないように、俺達を人気の無いほうに誘ったんだろうけど、反って裏目に出たな。」
男達の言うとおり、銃撃戦にでもなれば一般市民ににも被害が及ぶことが考えられたから、ロイは彼らの存在に気がついた時から、あえて人気のない方に歩いてきていたのだ。

(取り敢えず民家に被害が出ないようには出来たが、これからどうするか・・・・。)
切り札の発火布は自分の両手にはめてある。
しかし、これだけの人数に囲まれていては、一瞬でけりをつけることは不可能だ。

「せっかくだから、聞かせてもらいたいのだが。私に一体何の用事があるのだね?」
「何。あんたたちが3日前に捕らえた、俺達の仲間を返してもらいたいだけだよ。」
ロイの問いかけに、再びリーダー格の男が口を開く。
「3日前・・・・・・?ああ、あの軍部の施設を爆破しようとしていた、テロリスト達か。」
「俺達は、テロリストなんかじゃねぇッ!!」
ロイの言葉を聞いて、男の一人が激昂して怒鳴る。

「お前たち軍の人間が、俺達の言葉に耳をかそうとしねぇから・・・・ッ!!」
「だからといって、いきなり武力に走っていいという法律がどこにある!たった一度の提言が通らなかったぐらいで、甘えるな!!本当にこの国の未来を変えようという気があるなら、信念を曲げるなッ!!簡単に諦めるお前たちに、軍のことを罵る資格などないッ!!」」
男の言葉を遮って、ロイが激しく反論をする。

所詮男達の言うことは、この国の未来の為という体のいい理想を笠に着た、ただの暴動なのだ。
軍のやり方に対してこの国の未来を本当に憂えるのならば、関係ない市民を巻き込む、軍施設の爆破など考え付くはずなど無い。
実際軍が早めに動いたおかけで、爆破事件は未然に防げたからいいようなものの、本当に爆破されていたら、被害はどれ程の規模に及んだことか。

「〜〜〜〜っのぉ〜。黙ってればいい気になりやがって!!」
これほどの窮地に立たされても、凛とした姿を崩さないロイに焦れて、男達は頭に血を上らせる。
「待てッ!!!」
一斉にロイに飛び掛ろうとする男達を、リーダー格の男が引き止める。

「言いたい放題言ってくれるじゃるじゃねぇか・・・。」
言いながら、男はチラリとロイの周りにいる男達に目配せを送る。
「・・・・・・・・・・・・なにをッ!」
途端ロイの両脇に居た男達が、ロイを左右から拘束する。

「こんだけの人数相手にしても、一歩も引かない姿は立派だとおもうけどなぁ。余分なことばかり言ってると早死にするぜ?」
ロイの自由を奪って、リーダー格の男はにたりと笑う。
「それとも、あんたのその自信の原因はこれか?」
ロイの手をとり、男はロイのその手をロイの目線まで持ち上げる。

何をと問うまでも無く、リーダー格の男がさすものは、ロイの両手にきっちりとはめられた発火布だ。
「俺達だって、軍にケンカ売ろうって言うんだから、それなりに下調べはしているんだぜ。」
得意げに笑いながら、男はロイの両手の発火布をナイフで切り裂く。
「これで、あんたの切り札は無くなったわけだ。」
「私の一人を捕らえるために、丁寧な下調べ・・・・・痛み入るね。・・・・・・つッ!」
皮肉な笑みを見せるロイの顎を、突然リーダー格の男が掴んでロイを上向かせる。

「そろそろ黙んな。俺にだって、我慢の限界があるからな。これ以上無駄な口をきくと、あんたの綺麗な顔に傷が・・・・。」
ロイの顎を掴んだまま喋っていた言葉を途切れさせ、男はしばしロイの顔をじっと見つめた。
「ボス?」
リーダー格の男の隣にいた男が、言葉を切った男を不思議そうに見る。

男達の見つめる先で、リーダー格の男が唇の端を吊り上げる。
「面白いかもしれねぇな・・・・・。」
「なにがです?」
「このお綺麗な軍人さんに、俺達の相手をしてもらうのもよ。」
「なッ!?」

リーダー格の男の口からでたとんでもない言葉に、男達は言葉を失う。
「な・・・何を言うんです!?コイツは男ですよ!?」
「まぁ、そういうなって、お前たちもコイツの顔を良く見てみろよ。」

正気ですかと慌てる部下の姿にも動じることなく、リーダー格の男は少し身体をずらして、顎を押さえたままのロイの顔を部下に良く見せる。
月光の青白い光に照らされたロイの顔に、興味津々の男達の視線が集まる。
「・・・・・・・・・・・いい加減にしろッ!!」
自分の意思を無視して勝手に進められて行く会話に、ロイは怒りもあらわに自分は見世物じゃないと叫ぶ。

「・・・・・・・・・・・・・・・・そう、言われてみりゃぁ・・・・・・。」
「確かに、女でもこんな美人にはそうそうお目にかかれないかも。」
暴れるロイを更にきつく押さえつけて、まじまじとロイを見つめた男達は納得したように頷いた。
月明かりの中で、なお際立つ整った顔立ち。
捉えられたまま暴れた為か、乱れた軍服から見えるのは陶磁器のように白い肌。
反して怒りの為薄く紅くなった頬は、えもいわれぬ色香をかもしだしている。

ゴクリと男達の喉がなった。
「悪くねぇかもしれねぇ・・・・・・・・。」
「だろ?」
その反応に、リーダー格の男は満足げに頷いて。

「連れていけ。」
短く命令を下した。
「やめ・・・・・・・ッ!!」
男達の目的が更に危険なものになったのを感じて、ロイはとっさに抵抗するが、男達は慌てることなく用意周到に準備した布でロイの口を塞いでしまう。

突然の出来事に、ロイはしまったと思う間もなく、息を吸い込んでしまった。
布にたっぷりと含まされたキツイ薬品の匂いに、頭がクラリとして。
次の瞬間には、ロイは暗闇の中へと意識を落としていた。